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3.Orbがもたらすもの

Orbによってもたらされるものは、人一人一人によって異なることでしょう。その体験や価値を、互いに対話し、分かち合うことができるとき、互恵の宝物となるのだとプロジェクトメンバーはヴィジョンしています。

例えば、Orb撮影を行うことは、ちいさなことをも見逃さない注意力と周囲への関心を高める効用があると本プロジェクトメンバーは考えています。

私たちは、十数年前より自らの撮影経験を通じて、しばらく個人的な体験として私秘的に撮影を楽しみ、それがなぜもたらされているのかを、多様に自由に想像して仮説を巡ってきました。そのような営為は、単にOrb撮影のために行なうことにとどまらず、段階的に周囲の環境や社会や時代をみつめてゆく視野・視点・視座を磨いてゆくものとなりました。

・知を深め心を耕す、『Art』というプロセス
自分だけにとどまらず、他者とのコミュニケーションの方法を学び、お互いのもてる情報に関係性を結ぶこと。そうした、自らだけの限られた狭い範囲を超えて、私たち一人一人を取り巻く他者の考え方や、社会や世界や宇宙や時代の新たな知に触れ、自らとの差異の中に、知を深め、更に心を耕すことが高められてゆきました。ひとりぼっちにならない、ひとりぼっちにさせない。そのようなつながりをOrbとのコンタクトはもたらしてくれるものだと、私たちは確信しています。そうして、自らが立てた初期の仮説が、私たちを取り巻く情報によって、だんだんに修練されていくものでもあります。それらは『Art(アート)』という、ある技法や作法を巧みに磨き高めてゆくプロセスでもあります。

なにより、既存の思い込みをはずし、一旦はどのような仮説や想像も受け入れてみるということ。そして、一方で、どのような仮説もそれを上回るよりよい上位概念がないかどうかを真摯に重ね重ねて探ってゆくこと。幸運なことに、現代の高度情報化社会においては、私たちは、自らがのぞめば、多彩な世界中の書物から、また、インターネットという世界検索の入り口から、わくわくする心弾む多様な世界知の海に飛び込むことができます。かつて、ひとつひとつをその場所に旅して情報を得なくてはならなかった地球上の叡智を、現代は古今東西、縦横無尽に張り巡らされているネットワークによって、人類の叡智のアーカイブを、誰もが求めれば与えられるという恵まれた情報網の環境下に生きています。『なに?』『なぜ?』という不思議を抱く子供のような知的好奇心-これを『科学する心』ということもできるかもしれません、そのようなち知と心を、満たしてゆくことのできる、幸いなる時代の恵みがもたらされているのだと気づかされます。一方で、あふれる情報が玉石混淆の時代、その情報の質に耳目を澄まし、自戒と共に、ほんとうに価値のある情報に対する『選択と集中』という識別眼も求められる時代を迎えているといえるでしょう。

そのような私たちの学習態度においては、すでに知っていると思い込んでいる『既知』が、未だ知らなかったという『未知』に転換されることも大いにあることです。そのようなとき、私たちが日々日常生活する世界は大きく広がり変化してゆきます。揺らぐということは、固定されてもはや動きがないという状況に対して、動的な活動を伴う生き生きとした存在であるという証しでもあります。それは、過去からの人類の営みを学び、今に伝承されている情報の海に触れ、未来に継承すべきものが何であるのかを確かに学び深め、正しく理解し、やがて力強い行動の力を奮起し、そのような動的なネットワークをつなげてゆくものへと進化させてゆきたいものです。

・自由対話の夜、『ムーンソサエティ』
本プロジェクトメンバーは本サイトを制作するにあたり、これまでの半年間『ムーンソサエティ』と名付けた、月の美しい夜の会合を定期的に設けてきました。そこで、多様な視点からOrbとの関与について話し合い、感じ合い、活動の最適化を探ってきました。それは、きわめて興味深いものでした。はじめに、Orbについてすでに知っている人も、知らない人も含まれ、また、撮影経験を持つ人、持たない人、さまざまなメンバーの構成が自然発生しました。その職域の専門も、IT業界のコンサルタント、広告代理店のプロフェッショナル、人材開発のコンサルタント、デザイナー、アナウンサー、異文化コミュニケーター、トレーナー、サイエンティストなど幅広く、それぞれの多彩なプロフェッショナルバックグラウンドを通じて知見を交え、プロジェクトの構築方針を固めてきた経緯があります。

そのOrbについて繰り返し思考し対話を交えるプロセスにおいて、次に掲示する私たちの成長段階があったことは興味深いことです。



『ムーンソサエティ』では、会を重ねる毎に時を得た参考文献が相互紹介されるようになり、また、個々の経験価値についての変化を、回を重ねる毎に進化して語られるようになる自由闊達な発言の場となりました。参考文献は右記のリンク先にてご紹介しています。

・思考と対話の積み重ねから気づきゆくもの
あるメンバーは、ふとつぶやいたものです。「Orbのことを皆と話し合うようになって、この前、ふと、気づいたことがあるんだ。最近、仕事でもプライベイトでも、はじめて出会う人たちごとに、何か一緒にやろうと声をかけられたり、誘われたりすることが多くなったんだ。以前は、そんなことがなかったから、不思議に思うよ。うれしいことだよね。」そう語る口調や表情は、確かに、Orbについて話し合いをはじめた頃よりも、一層ゆったりとして受容にあふれ、その向き合う精神的距離の『間』にも親しみがあり、惹き込まれる魅力と同時に入り込める余地を与えてくれている様子があります。そのような恩恵を、私たちは最も嬉しく思うものでもあります。

また、あるメンバーは、レイチェル・L・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」ー 不思議さに驚嘆する感性に触れて、魅力的な考えを述べました。「人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるでしょうか。(中略)わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ、生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足と、生きていることへの新たなよろこびへ通じる小道を見つけだすことができると信じています。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。」という引用をひき、「私たちが、自己の内側にもつ自らの感情経験によって培われた『心のモデル』によって相手を理解しているのだとすれば、「自分がどう感じているか」ということについて子供の頃からあまりにも学ぶことができなかったことがあるとすれば、その『心のモデル』が不十分となってしまう。その結果、相手の気持ちが理解できないという社会状況を生み出してしまうのではないかということを考えています。」と。

その学ぶことができなかった環境の原因は何にあるかと考えるとき、私たちは『効率』や『合理』を重視する社会(待てない社会=いま感じたことを味わう時間的余裕のない社会)にある真因について考え始めました。現代は、目に見えて、すこぶる速く・数も量も大量・多大で、強靭長大なことなどが優れているという『効率』が重視されて評価されることが未だ主流であるように見受けられます。

果たして人が幸福に生きるためには、何がほんとうの『効率』であるのかを、今、まさに共に考えることは実に意義深いこととなるでしょう。

その点で、Orbは、上記の『効率』や『合理』からはまったく反対の対極にある存在だといえるでしょう。見えないものを見ようとするまなざしと同時に、それらを感じていることを感じている"私"というものをだんだんに思い出すことが求められていくようなことは、現代の社会性から考えれば、まったく『合理』にあわないことだといえるでしょう。しかしながら、『合理』で埋め尽くされた社会は息苦しく、自己の存在すらも『合理』にさらされて間尺があわなくなってると、生きようとする活力力すらあやぶまれることを過去の歴史は教えてくれています。呼吸ができるような心地よい『間(あわい)』を再起させること。そのようなことに、Orbは何か貢献力をもたらしてくれる力があるように、私たちは感じています。

現代には『スピリチュアル』という言葉が流行しているようですが、その語源には、まさに『呼吸する』という意味があります。本プロジェクトの発案者であるメンバーは、映画『コンタクト』の原作者である科学者のカール・セイガンの次の言葉を大切にしています。『科学的な感動は、マハトマ・ガンジーやマーティン・ルーサー・キングらの勇気ある無私の行為を前にしたときに感じるものと何ら変わるところが無い。科学と精神性は互いに相容れないなどと考えることは、どちらにとっても、百害あって一利なしというべきだろう。考えることを教えない科学教育は、科学を教育しているのではなく、単に従順さの教育をしているに過ぎないのだ。(中略)世界中の人達がじっくり知識を積み上げてゆけば、科学は、国や世代を超えたメタ理性とでもいうべきものに変わるだろう。英語の『スピリット(精神)』という言葉は『呼吸する』という意味のラテン語に由来する。われわれが呼吸しているのは空気であり、どんなに薄くとも物質であることに変わりはない。つまり『スピリチュアル(精神的な)』という言葉は、必ずしも物質(脳を構成する物質も含めて)以外のものでも、あるいは科学の範疇外のものを指すわけではないのである。科学は精神と矛盾しないばかりか、深いところでは精神性を生み出す源なのだから。』

Orbが科学的な実証によって、どのようなものであるかを解明される日がいつ到来するのかは、私たちにとっては未明です。しかしながら、全方位型の知によって統合された見識を得るプロセスにおいて、常に感動を伴う新しい発見があるということは、実に大切なことであることを確信しています。

・イマージュからオマージュへ
そのような思いを巡って、本サイトを構築してくれている中心メンバーは「イマージュからオマージュへ(from Image to hommage)」というキーワードを心しています。このTHE ORBS-JAPAN.COM PROJECTが耕してゆく、未知への想像力が、やがてお互いの互恵としてオマージュの対象となり未来伝承されていくものへとつなげてゆけるならという想いから、このようなサイトを果敢に具現化してきました。

象徴としてのOrbから導き出される好奇心(curiosity)がセンス・オブ・ワンダーを想い起こさせ、一人一人の心のオマージュの対象となるとき、THE ORBS-JAPAN.COM PROJECTはようやく、現代において瞬間風速で消え行くものではなく、次世代に継承すべき何かを紡いでゆく持続可能なものとなるのではないかと、私たちは志向しているのです。またそれは、日本ならではの『うつろいの美学』や『宙空へのまなざし』という過去から連綿と受け継がれている文化遺伝子において、世界に発信できうる独自のOrbの謎解きが生まれるかもしれないと、未来に期待を抱いています。

Orb(オーブ)には『球』という意味と同時に、Orbit(オービット)という英語でもおなじみの『軌道を回る』という意味も含まれています。Orbを巡る思考の軌道を、私たちは正しく導いていきたいと願います。Orbの、その存在を繰り返し繰り返し眺め、思考し、想像力と創造力を高め合って対話する、その語らいのプロセスにおいて、『なに?』『なぜ?』ということと同時に、その存在そのものを通じて『なにが起きてゆくのか?』ということ、それらをすべて含み、私たちは『Art of Orbs(オーブの作法)』を大切に紡いでゆくことを学んできました。そのような、Orbがもたらすものを、本プロジェクトメンバーは、あらゆる境界線を超えて、扉を開き、着実に確かめてゆってゆきたいと志向しています。ぜひ、皆さんのお考えもお聞かせください。





































































































































































Produce & Text: Yoshie Usuba / WEB&Contents Design: Munechika Ishibashi / Flash Design: Bugaku Miyao / Translation: Lisa Vogt / Kumi Naruse

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